東京高等裁判所 昭和36年(う)2524号 判決
被告人 荒井七郎
〔抄 録〕
所論は、原判示の坂本稔には繭の不正出荷取締の権限、少くとも未検定繭の移動を取り締る権限がないこと及びかりに同人に右取締の権限があつたとしても、同人は右権限に基づく職務の執行中でなかつたことは勿論のことその執行に着手しようとしていたものでもなく、被告人としても同人がその職務の執行中若しくは執行に着手しようとしているものであるとは考えていなかつたのであるから、原判決が同人が蚕糸業法に基づき繭不正出荷取締中であつたと認定して同人に対する被告人の所為を公務執行妨害罪に問擬したことは、法令の解釈適用を誤つた違法があるか事実を誤認した違法があると主張するものである。
しかし、昭和三十五年埼玉県規則第九号埼玉県庁組織規則の定めるところによれば、同県農林部蚕糸課所属の地方機関として本庄市及び児玉郡を管轄区域とする本庄蚕業指導所の分掌事務のうちには、「蚕糸業に関する指導監督及び調査を行うこと」という一項目があるのであつて、右にいわゆる蚕糸業に関する指導監督というのは、右規則中に同県蚕糸課の分掌事務として蚕糸業法の施行に関すること、蚕種、養蚕及び製糸の指導に関すること、産繭処理の指導に関すること、蚕業技術員の指導監督に関すること等が列挙されていること並びに蚕糸業法第十五条が「繭ハ命令ノ定ムル所ニ依リ都道府県ノ行フ検定ニ依ル品位ニ依ルニ非ザレバ其ノ売買取引ヲ為スコトヲ得ズ」と規定し、蚕糸業法施行令、繭検定規則及び埼玉県においては埼玉県検定供用繭抽出規則において繭検定手続の詳細について規定するところがあることに徴すれば、産繭については、所論のように技術的にその指導をすることだけにとどまるものではなくて、未検定繭の売買取引をも含めて蚕糸業法第十五条に違反して検定を受けないで繭の売買取引をすることのないように一般的にまたは個別的に指導監督することをも含み、具体的には違反取引の行われることを防止するために管轄区域を巡回しもし違反取引をしようとする者を発見した場合にはその者に対し検定を受けた上で取引をするように勧告することも右指導監督の中に含まれるものと解するのが相当であり、この点は当審における証人木村文夫の供述によつても確認されるところである。而して、原判決の挙示する証拠を総合すれば、坂本稔は、元来は、埼玉県農林部蚕糸課に勤務する技師であるが、原判示の昭和三十六年八月二十日には同県蚕糸課長より本庄蚕業指導所に出向して同指導所の係官と共に同指導所の分掌事務の一つである前記のとおりの内容の蚕糸業法第十五条に違反する繭の売買取引が行われないように指導監督する職務を行うことを命ぜられて本庄蚕業指導所に出向し、同指導所長の命により同指導所勤務の小久保英一及び吉田好男と共に児玉郡上里村賀美地域に出張し、未検定繭の売買取引が夜間行われることが顕著な事実であることの必然的対策として同日夜三人が一組となつてオートバイに乗り附近の部落を巡回していたところ、偶々大里村金久保部落において生繭を耕耘機に積んで被告人の義兄にあたる今井一雄方の横庭に搬入した者を発見したので、未検定繭の売買取引をするものと判断し、三人で右に対し執るべき手段を相談するため今井方より百米余り進行した地点でオートバイを停止していた際に、原判示のとおり被告人らより暴行を、次いで脅迫を加えられたことが明らかであるから、坂本稔が本庄蚕業指導所勤務の職員として蚕糸業法第十五条に違反する繭の売買取引が行われないように指導監督する職務権限を有したこと及び現実には特定の相手方に対し勧告していたもの若しくは勧告等をしようとしていたものではないとしても、職務の執行中であつたことは否定すべくもないところであり、被告人が、今井方横庭に生繭が搬入された事実及び坂本稔らがこれを現認して行つた事実は知らなかつたが、坂本稔が前記のように職務として巡回中の本庄蚕業指導所の職員であることを熟知し乍ら、原判示のとおりの行動に及んだことは、これまた証拠上明らかなところであり、叙上のことは当審における証人坂本稔及び同木村文夫の各供述によつてもこれを覆えすに由のないところである。尤も、原判決が坂本稔は「蚕糸業法に基づき繭不正出荷取締中」であつたと判示したことは、用語としては必ずしも適切でなく説明不足の感のあることを免れないが、法令及び証拠を参酌すれば、その意味するところが叙上のとおりの指導監督と異なるものでないことを理解できるのであるから、これを目して事実を誤認したものということはできない。
原判決が被告人の所為を公務執行妨害罪にあたるものとしたことは正当であり、法令の解釈適用を誤り若しくは事実を誤認した違法のあることは認められない。論旨は理由がない。
(久永 上野 今村)
註 本件は量刑不当で破棄